友人の弁護士が送ってくれた年賀状に引用してあったお釈迦様の言葉。まことに味わい深い。所詮お金とは巡り合わせものだ。
引用されている法句経62の部分:
法句経とは現存する最古の経でキリスト教のバイブルみたいなお経。お釈迦様はエラかったことが分かる。
弁護士という職業は「財に執着する人種」とつきあわねばならないことが多く,この友人も毎年このような「哲学的」な賀状を顧客に送り,あまりお金に執着しないようにと諭しているらしい。お金にこだわるのはみっともなくて格好が悪い。食に拘るのと同じだ。
「自分のもの」なんかどこにもないのである。財とは拾ってきた猫みたいなもので,たまたま自分と一緒にいるにすぎない。あまり執着して、なぜたりさすったりしていると,プイッと向こうに行ってしまう。逆にあまり構わないと向こうからすり寄ってくる。株も同じだ。強い思い入れで買ったハイテク株が悲惨なことになり,ゼロになってもいいやと思って買った中国株などが10倍になっている。
資本主義社会においてはこのことをみんなよく承知している。資本主義とはしょせん諸行無常の世界。どんな商売も30年は続かないのが普通だ。でも資本主義の論理が通用しない前近代的な世界に住む利権にしがみつく既得権集団は「既得権は永遠に自分のものだ」と信じて疑わない。既得権に拘るのもみっともなくて格好が悪い。既得権集団は法句経を読んだ方がいい。
「私には子供たちがいる。私には財産がある。」と愚者は思い煩っているが、
実に自分は自分のものではない。どうして子供たちが、どうして財産が自分のものであろうか?
法句経とは現存する最古の経でキリスト教のバイブルみたいなお経。お釈迦様はエラかったことが分かる。
弁護士という職業は「財に執着する人種」とつきあわねばならないことが多く,この友人も毎年このような「哲学的」な賀状を顧客に送り,あまりお金に執着しないようにと諭しているらしい。お金にこだわるのはみっともなくて格好が悪い。食に拘るのと同じだ。
「自分のもの」なんかどこにもないのである。財とは拾ってきた猫みたいなもので,たまたま自分と一緒にいるにすぎない。あまり執着して、なぜたりさすったりしていると,プイッと向こうに行ってしまう。逆にあまり構わないと向こうからすり寄ってくる。株も同じだ。強い思い入れで買ったハイテク株が悲惨なことになり,ゼロになってもいいやと思って買った中国株などが10倍になっている。
資本主義社会においてはこのことをみんなよく承知している。資本主義とはしょせん諸行無常の世界。どんな商売も30年は続かないのが普通だ。でも資本主義の論理が通用しない前近代的な世界に住む利権にしがみつく既得権集団は「既得権は永遠に自分のものだ」と信じて疑わない。既得権に拘るのもみっともなくて格好が悪い。既得権集団は法句経を読んだ方がいい。
Posted: Mon - January 1, 2007 at 04:36 PM Letter from Yochomachi Money Previous Next Comments (3)
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